エッチ

 この前の公開講座のあとの懇親会、と言っても、わたしの場合、酒をがぶがぶ飲んで、わけの分からないことを叫ぶだけだが、その懇親会で、わたしと同じぐらいの年齢の女性に、
「わたし、「エッチ」という言葉は好きではありません」
と、言われた。
 そう、わたしも好きではないが・・・あれは、まあ、ジョークの意味で使ったのです。と、講座のときに、「エッチ」という言葉を使った文脈を思い出しながら、赤面しながら、アルコールですでに赤面していたが、そう言おうとしたが、言葉を呑みこんだ。
 ユーモアというのはむつかしい。少し立ち位置が違うと、ユーモアはまったく通じなくなる。どころか、相手に怒りを呼び起こす。
 とくに、男女のあいだでユーモアが通じると思ってはいけない。通じるなどと思っていると、ひどい目にあう。いや、わたしはこれまで何度、そういう目にあってきたことか。おお、ユーモア、ユーモア、そなたは、求めると、姿を隠し、求めないと、姿を現わす。そなたはまるでわたしの慕う思い人。
 そうつぶやいていると、「エッチ」という言葉はいけないと誰かが言っていたのを思いだした。
 酩酊し、家に帰って、寝て、起きて、顔を洗い、それが誰かようやく思いだした。昔、テレビによく出ていた林秀彦という人物だった。その男がどこかで書いていた。
 そこで、ある日、図書館に行って、林秀彦の本を探していると、あった。『「みだら」の構造』だった。ついでに他の林の本も5冊ほど借りて、読んだ。
 読んだが、読んだ本が悪かったのか、ことごとく退屈で内容が薄かった。このため、半日で全部読んでしまった。少し読む速度が遅くなったのは、『ココロをなくした日本人』ぐらいか。しかし、これも山本七平の亜流というか出来損ないという感じで下らなかった。
 いちばんひどかったのが、くだんの「エッチ」について書いた『「みだら」の構造』で、「エッチ」という言葉を使う人間を、日本人の性愛を理解しないド阿呆と罵っているだけだった。
 わたしだって「エッチ」という言葉は好きではない。しかし、湿度の高い、「みだら」とか「淫猥」とかいう言葉を、健全な(か、どうかは分からないが)生活空間で使うのはどうか。あまりにもみだらではないか。したがって、わたしとしては、かーるく、「エッチ」という言葉を使いたい。それでいいではないか。
 しかし、何ですね、こういう下らない本でも出版され、それを読む人がいることに驚き呆れましたね。いや、世間にはもっとゴミのような本が大量に出版されているのだろう。世も末だ。と、憎まれ口をたたいて、少しすっとした。