ありのまま

 ありのままでいい、と、なぜ分からないんだろう。威張ったり、人をバカにしたり、卑下したり、頭が悪いとか良いとか言ったり、顔が良いとか悪いとか言ったり・・・分からないんだろうな。悲しいよ。

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■障害者でよかった、今思う 奈良崎真弓さん(本人会サンフラワー会代表)

 事件はテレビのニュースで知りました。「障害者なんていなくなればいい」と植松聖(さとし)容疑者が話していると知り、心が壊れました。

 小学5年の時のことを思い出しました。授業についていけなくなった私に、友だちは「死ね」「障害者はいらない」と言い、離れていきました。とてもショックでした。二十数年忘れていた言葉が心にグサッときて、2日間、嘔吐(おうと)と寒気に襲われました。

 家族と暮らす自宅から週に4日働いている花屋へ行く途中、誰かから同じことを言われるのではと。怖い。今も夜中に目が覚める。事件が起きた施設にいたらどうなっていたのか。「助けて」と言えただろうか。妄想してしまう。

 植松容疑者が障害者の命を否定したことは許せません。でも、事件を予告した時、なぜ周りの人が注意しなかったのでしょうか。植松容疑者の人生がダメになったのは、もったいない。怒りというより悲しいです。

 障害者がいなくなればいいと思うことはたぶん、みんなにあると思います。でも障害者が本当にいなくなったら、どんな社会になるんだろう? みんな年をとると体が動かないことがありますよね。事故で体が不自由になるかもしれない。その時、「あなたはいらない」と言われたらどう思いますか? ぴんぴん元気な人ばかりだったらロボットの世界のようだと思いませんか? 街や駅のバリアフリーもないかもしれません。

 月に一度、知的障害者の本人が集う会を開いています。仕事や年金、住居、恋愛といった悩みを話し合ってアドバイスしたり、法律を勉強したり。家に閉じこもりがちな人には「怖くても飛び出してみようよ。誰かがきみを支えてくれる」と励まします。街に出て障害のない人が私たちと出会う機会が増えれば、お互いを大事にできると思う。

 障害があるとかないとか関係なく、一緒に笑ったり感動したり、時には泣いたり怒ったり。それだけで、人は生きている価値があるんじゃないでしょうか。あるがままの命の重さを感じられるんじゃないかと思うんです。がんばらなくていい。笑ったり泣いたりできない人には「どうしたの?」と寄り添えばいい。

 専門用語や長い文章はわかりづらいし、難しい漢字は書けません。頭の中で計算するのも苦手。障害がない自分になりたいと思ったことは何度もあります。

 でも、親身に支えてくれる人や、顔の筋肉は動かないけれど目を開けて「きょうも生きている!」と感動させてくれる知的障害と身体障害のある男性など、さまざまな人と出会い、人は一人ひとり違っていいと実感できた。だから今、こう思うんです。障害者でよかった、と。(聞き手・森本美紀)

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 ならざきまゆみ 78年生まれ。知的障害があり、当事者の視点から発信を続ける。自治体の施策作りに関わり、海外で活動も。

(『朝日新聞』2016.8.26、朝刊から引用させていただきました)