松下昇

 松下昇氏は神戸大学の教員だったが、神戸外大で自主講座をしていた。神戸外大の教員だった中岡哲郎先生といっしょにやっていたのだったか。神戸外大が全共闘によって封鎖されていたときだ。私は二回行ったけど、面白くないので、行かなくなった。と言うより、当時は芝居にこっていて、自分でも芝居の本を書いていて忙しかったからだ。
 噂を聞いただけだが、松下さんは神戸大学の黒板にペンキで字を書くという象徴的行為をしたりして(「消えるような字を書くな!」という意味だったらしい)、大学から訴えられ、首になったそうだ。
 当時、私は同人費を学割にしてもらうかわりに同人誌の編集を手伝っていたが、その同人誌を編集していた池内紀という神戸大学の教師が松下さんと同じ東大の独文出身だった。池内さんは松下さんが首になる前、「そんな馬鹿なことはやめろ」と言ったけれどダメだった、と泣きそうな顔になった。それ以来、私は池内さんを信用するようになった。
 松下さんの奥さんは病気だった。子供さんも病気だった。松下さんと親しかった造反教官の小川正巳先生から聞いたことだ。
 神戸外大前からバスに乗ると、たぶん神戸大学から乗ってきたらしい松下さんの姿を見かけた。いつも運転手の後ろのパイプを右手で握りしめ前を向き、乗客に背を向けて立っていた。誰とも顔を合わしたくない、という空気をただよわせていた。
 そのうち、全共闘の誰かから、松下さんが阪急六甲のところで屋台のたこ焼き屋を始めたという噂を聞いた。嘘か本当か知らないが、気に入らない神戸大学の教師が通りかかると、熱いたこ焼きを投げつけたという話だった。いや、たこ焼き投げつけ事件のことは、小島輝正から聞いた話だったか。
 私は松下さんが嫌いではなかった。自主講座で朗読した彼の孤独な詩も好きだった。そのうち、奥さんが亡くなったと聞いた。子供さんはどうしたのだろう。地震のあと松下さんは亡くなった。

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