安保法制

 マルクスフロイトを批判しながら『世界の多様性』という瞑目すべき論文を書いた歴史人口学者、エマニュエル・トッドが、『文藝春秋』(2015年10月号)に、「幻想の大国を恐れるな」という中国論を寄稿しています。
 その結論だけを言いますと、いまの中国はきわめて不安定で危険な状態にある。だから、いまの中国が国内の混乱に対する国民の注意を国外、とくに日本に向けるため政治的に利用している、靖国問題、それに南京大虐殺などの歴史問題に、日本はかかわりをもたないようにしなければいけない。要するに、そういう中国のナショナリズムに対して日本は「ああ、そうですか。ごもっともです。」という、やりすごすような態度でのぞまなければならない。
 そして、日本はアメリカと連携しながら防衛力を強化するだけではなく、地政学的に日本にとってきわめて重要なロシアと友好関係を結ばなければならない。これが将来起きる中国の混乱に備えて日本が取っておくべき予防措置なのだ。
 以上がトッドの言いたいことです。
 つまり、フランス人のトッドの目から見ても、現在安倍政権がすすめている、主に中国を視野に入れた安保法制はきわめて理にかなったものだということです。(以下、トッドが『世界の多様性』で述べた自説を反復しながら、現在の中国について述べている箇所を引用します。)

 私は、人口学的見地からソビエトの崩壊を予想して以来、「予言者」のように言われることがあります。そんな人生を望んでいませんでしたが、多岐にわたる問題について、人口学的、家族構造的、社会学的な観点から二十年先を「予言」することを結果としてしばしば求められてきました。しかし、現時点で中国の今後に関して確定的なことは何も言えません。数えきれないほどのシナリオが考えられるからです。ただひとつ断言できるとすれば、最良のシナリオだけは想像ができないということです。最良のシナリオとは、安定成長を持続し、国内消費が増え、権力は安定し、腐敗も減っていく――こういう素晴らしい未来だけは考えられないのです。したがって、中国の未来の姿は、この最良のシナリオを除外して、それに次いで良いシナリオとカタストロフィーのシナリオの間にある。逆に言えば、カタストロフィーも考えられるということです。
 ですから我々は、中国が抱える矛盾について、今まで以上に関心を払う必要があります。
 恐るべき速さで進んだ経済成長がもたらしたアンバランスの最たるもの、それが富裕層と貧困層の間の非常に大きな格差です。ここで協調しておきたいのは、中国における格差は、他の国以上に深刻な社会問題になるということです。その理由は、中国の伝統的な家族制度に関係があります。
 中国では、伝統的に父親の権威が強く、その下で同じ所帯が一緒に暮らし、共同関係が平等な共同体システムが一般的です。強い父親がいて、兄弟たちは平等にその遺産を相続していく。これは、農村の家族形態も、エリート層の家族形態も、同様です。
 強力な父権主義と兄弟間の平等主義は、共産主義革命を可能にするポテンシャルにつながります。つまり、共産主義は中国伝統の家族形態にもとづく価値観に合致しているのです。同じ家族システムを持つロシアやベトナムで共産革命が起こったのも、不思議なことではありません。しかもこの長い時間をかけて醸成された伝統的なメンタリティーは簡単になくならず、いわゆる資本主義的な社会になった二十一世紀の中国にも息づいています。
 ですから、そうした平等主義が意識の根底にある中国人にとって現在の格差は、他の国の人々が感じるよりも一層、受け入れがたいものになっているのです。そしてこの人民の気持ちとマッチしない現状が、社会全体に大きな緊張感をもたらしています。

 そこで中国の指導者たちが採用したのが、ナショナリズムを高揚させるという古典的な解決法でした。外敵を見つけて、ナショナリズムで国内を引き締めようとする。これは非常に危険なことです。ひと口に危険と言っても、私が感じているのは漠然とした危うさではありません。中国が歴史の現段階においてナショナリズムを使わなければいけない状況に追い込まれていることが、とりわけ危険なのです。

 というのも、歴史的、文化的な観点から見ると、中国はいま、一九〇〇年ごろのヨーロッパくらいの段階にあると考えられます。その時代の欧州との共通点は、たとえば教育水準です。中国の現在の高等教育への進学率は一九〇〇年ごろの欧州の数字とほぼ同じ。つまり、一定の教育を受けたけれども高等教育には進まない層が、マジョリティーを占めている。この状態は、どこの国でもナショナリズムが激しく燃え上がる危険性を秘めているのです。実際に一九〇〇年ごろの欧州では、まさに人々がナショナリズムに没頭していきました。だから、いまの中国は危険なのです。
(中略)
 そして前に述べましたが、私は日本自身の防衛力の強化が不可欠だと考えています。日本は巨大な中国に対して、科学技術上、経済上、そして軍事技術上の優位性を保ち続けていかなければなりません。
 日本では現在、アメリカとの集団的安全保障の法制化を巡って、反対デモが起こったり、議論が活発に行われているようです。しかし私は、この問題も、感情的ではなく、冷静に考えなければならないと思います。