何を読むか(2)

『男のポケット』(丸谷才一

 私は50歳近くになってある大学に拾われた。それまで、関西のさまざまな大学で非常勤講師をしながら、家族と自分の命をほそぼそとつないでいた。別の所にも書いたように、40歳をすぎた頃から週に25コマ教えなければ生活してゆくことができなくなった。そういう生活を続けていたら、私はとっくにこの世から姿を消していただろう。
 それはともかく、その25コマほど教えていた頃、大阪の夜間大学で教えて京都の自分の家に帰り、また翌朝神戸の大学に出るというようなことをすると、睡眠時間がほとんどなくなるので、神戸や大阪のサウナ風呂を常宿にしていた時期がある。
 記憶が薄れているが、たしか、朝飯(卵かけご飯に味噌汁と漬け物)が付いて、2000円ぐらいだったと思う。これも記憶違いだったら訂正するしかないが、たしか神戸サウナのいわゆるレストルーム(サウナ風呂から出た者が休む場所で、毛布を貸してくれた)には本棚があり、そこに手垢にまみれた漫画本や大衆小説が並んでいた。
 サウナでボーとなった頭で、私がそこに並んでいた司馬遼太郎池波正太郎をだいたい読みつくしたある晩、本棚の奥に『男のポケット』(丸谷才一新潮文庫)がしわくちゃになってはさまっているのを発見した。奥から引きずり出し、読んだ。で、読んでいるうちに眠くなるだろうと思ったが、おもしろくて眠れない。そこで途中でえいやっと読むのをやめて眠り、翌日本屋で購入した。そこにはこういうたぐいの文章が並んでいたのである。

アイスクリーム百杯・・・

 わたしの友人である批評家、篠田一士は、旧制中学のときに柔道三段になつたといふ男で、旧制高校以後は文学にいそしむため柔道を廃したが、もしあのままつづけてゐれば、
「さうだな。醍醐君(醍醐敏郎のこと:萩原)くらゐには当然行つただらう」
 と事もなげに言ふ。
 それは本当かどうか、誰にも判らぬことだが、大変な巨漢だから、何となく真に受けたくなつてしまう。さういう体の持主であつてみれば、食欲の旺盛なこと驚くべきもので、柔道部時代には、何とアイスクリームを百杯食べたことがあるといふ。柔道仲間と賭(か)けをして、見ん事、勝つたのださうである。
「辛いのは二十杯目から三十杯目だった。それを越せば、もう味なんかぜんぜん判らん。ただ冷たいだけでね」
 といふ、恐ろしい話であつた。家(うち)に帰ってから毛糸の腹巻をして、じつと横になつてゐたら、翌日は下痢なんかしなかつたといふから、大したものである。
 彼はこの話が自慢で、わたしは五回か六回聞いているが、K書房の当時の社長K氏の招宴で、彼が一部始終を語つたときはおもしろかつた。篠田の話が終わつて、一座がすつかり感心し、その興奮がまださめやらぬうち、K氏がかういう話をはじめたのである。
「なるほど、アイスクリーム百杯ですか。わたしは一晩に十回やつたことがありましたな」
 それは四十台の半ばごろだったらしいが、土曜の夜のこと、妾宅(しょうたく)においてせつせと励んでゐる最中、内的独白を用ゐて書けばかうなるやうなことを考えたのださうである。
 今週はここへよく通ったな。月曜から土曜まで毎晩来て、毎晩おこなつた。毎日一回づつ。合計六回。今、その六回目をおこなつてゐるわけだ。今日は土曜日。明日は日曜日だ。来るわけにゆかない。おれは養子の身だから、日曜に妾宅に通ふなんてそんな不謹慎なマネはできない。つまり明後日まではこの女とできないわけだ。とすれば、今夜は名残を惜しむ意味で、十回やつてみよう。
 ずいぶん飛躍した論理で、ついてゆきにくいかもしれませんね。殊に、月曜から土曜まで妾宅へ精勤した養子が、なぜ日曜には本宅にゐなくちやならないのか、日曜に本宅にゐなくちやならないからと言つて、なぜ土曜の夜に十回も努力しなくちやならないのか、納得に苦しむ向きもありませう。が、とにかくK氏はそのときさう決意し、そして断固として遂行したのである。
「よかつたのは五回目まででしたな。あとはもう辛いだけでした。しかし、男が一旦、自分に誓ったことですから、頑張りましてね。そして最後の一回が終るその瞬間、目の前にパツと火花が散つて、人事不省になつたんです。気がついたら、医者がそばにゐました」
 しかもK氏は「なにぶん養子ですから」、医者が帰ると自動車を呼ばせ、本宅に帰り、本宅の玄関でまた倒れた。当然、また別の医者が来て、今度は翌日一日眠りつづけたといふ。
「いや、あのときは大変でしたな。まる一月(ひとつき)といふもの、女を見るとムカムカしました」
 とK氏が語り終へたとき、篠田一士は言つた。
「わたしも一月(ひとつき)ばかり、アイスクリームは見るのも厭(いや)でした」