死産児を食い物にする邪教(承前)

 私のいう「真正のドストエフスキー論」とは素晴らしいドストエフスキー論ということではなく、「この筆者ならこういうことだけはしないだろうな」という信頼感を読者に与えてくれるドストエフスキー論のことにすぎない。この「こういうこと」とは、原作からかけ離れて行われる解釈のことだ。だから、これまで私たちが読んできたドストエフスキー論の大半は、下らないものも含めて、「真正のドストエフスキー論」なのである。一方、くどいようだが念を押していうと、「真正のドストエフスキー論」ではないドストエフスキー論とは、江川や亀山の書いた、原作からかけ離れた、書き手の正気を疑うドストエフスキー論のことだ。
 これまで述べたことを反復することになるが、「真正のドストエフスキー論」ではないドストエフスキー論の例を亀山のドストエフスキー論から挙げると、たとえば、『悪霊』の少女マトリョーシャが母親の勘違いのため盗みの罪を着せられ、鞭で折檻を受けながら泣いている場面がそうだ。亀山は、この場面を、マトリョーシャが「もっとぶって、もっとぶって!」とマゾヒスチックな悦びに恍惚となって涙を流していると解釈する(『「悪霊」神になりたかった男』、p.144)。
 これもこれまで述べたことの反復になるが、もうひとつ、亀山の文章から例を挙げる。「スメルジャコフが生まれる一八四二年まで、下男のグリゴーリーは旺盛な性欲をもてあまし、それとは知らず異端派(鞭身派)の集会に顔を出していた。あるときその儀式にまぎれこんだリザヴェータと関係を結んだ彼は、スメルジャコフの出産に立ち会い、自分が父親ではないかという「いまわしい疑い」を抱いた。」(『ドストエフスキー 謎とちから』p.227)
 このような例なら亀山のドストエフスキー論からいくらでも挙げることができるが、この二つの例は『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』を読んだことのある人なら直ちに原作からかけ離れた解釈だと判断できると思うので再び取り上げるのである。
 このような解釈を行う人物とはどのような人物なのか。常識のある人間なら、こんな解釈はしない。ここで常識がある人間とは、同義語反復になるが、山本七平のいう「こういうことだけはしないだろうな」という信頼感を与えてくれる人間のことだ。従って、先の二つのような解釈を行う人物こそ、前回述べたような「底が抜けたような倫理観しかもたない人間」なのだ。そして、このような人物こそ、『地下室の手記』の言葉を借りて言えば「死産児」なのである。死産児とは、「何でもあり」の人間、「すべてが許されている」と思っている人間のことであり、ドストエフスキーの後期作品でさまざまに姿を変えて登場する人間だ。要するに、亀山はドストエフスキーのいう死産児なのである。
 翻訳に話を移すと、亀山のドストエフスキー論と同じ事態が亀山の翻訳でも生じている。通常われわれは、訳者に「こういうことだけはしないだろう」という信頼を寄せて、その翻訳を読む。翻訳の場合の「こういうこと」とは、言うまでもなく、原作を改変して翻訳を行うということだ。このような改変を行う、翻訳者としての最低限の常識さえ通用しない、底が抜けたような倫理観しかもたない人間、つまり死産児が訳すものなど誰も読まない。なぜなら、言うも愚かなことながら、私たちは訳者の思想ではなく、原作者の思想を知ろうと思ってその作品を読むからだ。亀山のような訳者は原作者を冒涜していることになる。
 さて、ところが、そのような亀山の書いたドストエフスキー論やドストエフスキーの翻訳に読者が付く。それもたくさん付く。亀山訳『カラマーゾフの兄弟』はベストセラーにさえなった。
 これはどういうことか。読者がNHKテレビのロシア語講座や教養番組に出ていた亀山の権威に目がくらんだためか、あるいは、亀山の宣伝マンと化した東大教授の沼野充義の口車に乗せられたためか、あるいは新聞や雑誌で広く宣伝した光文社の戦術が巧みであったためか、たぶん、このすべてが同時に作動し、大衆が操作されたのだろう。しかし、いくら大衆が操作されたとしても、現物のドストエフスキー論や翻訳を読めば、それが偽物だということぐらいは直ちに分かるはずだ。分からないとすれば、それは、宣伝による読者へのマインド・コントロールが依然持続しているためか、読者が亀山と同類の人間、つまり、「底が抜けたような倫理観しかもたない人間」、つまり「死産児」であるためであるかだ。しかし、宣伝によるマインド・コントロールはそうそう長くは続かない。遅かれ早かれ、それはいつかは醒める。亀山のドストエフスキー論が出てからかなり年月が過ぎた。そのようなマインド・コントロールはもう醒める頃だ。従って、いまも亀山の書いたものに熱心に取り憑いている読者の多くは死産児なのだろうと推測できる。読者もまた死産児だとすれば、亀山の書くものに執着するのは当然だ。
 ところで、このような死産児は日本のような共同体が崩壊しつつある非キリスト教圏あるいは非イスラム圏だけで見られる現象だろう。なぜなら、たとえ死産児ではあっても、キリスト教圏やイスラム圏に生育した人々にとって、狂気に捕らわれていないかぎり、心からすべてが許されていると思うことは不可能であるはずであるからだ。従って、彼らは亀山の書くような「何でもあり」のドストエフスキー論を受け入れることができない。
 ドストエフスキーは『地下室の手記』以降、集中的に、神なき世界に住む死産児たちを描いた。彼らは神なき世界を浮遊する。彼らはスタヴローギンのように、その浮遊する不安に耐えかね自殺する。あるいはイワン・カラマーゾフのように発狂する。その生の形はさまざまだ。しかし、彼らはたとえ死産児であるとしても、神との契約があることは知っている。知っているからこそ苦しむのだ。だから、スタヴローギンのように、あたかもすべてが許されているかのように振る舞ったとしても、心の底からすべてが許されているとは思っていない。
 一方、亀山のような現代日本の死産児はこのような死産児とは異なる。彼らは苦しまない。というより、スタヴローギンのようには苦しむことができない。しかしそれでも群れたいという動物の本性に突き動かされ、自らの孤独に不安と苦痛を覚え、自分の属すべき居場所をけんめいに探す。居場所こそ、神なき世界に生きる日本人にとってもっとも重要なものだ。ところが、明治以来の近代化によって、伝統的な居場所(中間集団)は日本から失われ続けているのだ。とくにここ数十年の日本における社会変動は激しい。今では、農村の大半が荒れ果て、商店街の大多数がシャッターを下ろした。心の通い合う家族や友人さえもたない人々は増える一方だ。たとえば、私は、昔、土居健郎の『甘えの構造』という本を使って講義をしていたところ、ある学生に「先生、いまや人に甘えることさえ可能ではありません。甘えることができるなど、ぜいたくのきわみです。」と言われたことがある。それに対して、私は「そういえば、そうかもしれない。しかし、それでも日本では甘えが根強く残っているんだよ。」と答えたが、その学生の言葉を否定することはできなかった。たしかに、誰かに甘えることができる者は幸福な少数者なのかもしれない、と思った。あれからすでに二十年以上が過ぎた。日本の社会はいまは一層荒廃し、人に甘えることはさらに不可能になっている。居場所と人とのつながりを求める愛情乞食は増え続け、老いも若きも死産児となり果てている。今は死産児を食い物にする邪教がはびこるには絶好の時代だ。
 山本七平が言うように、日本人社会のモラルを保存し伝えきたのは、日本における個々の居場所あるいは中間集団だけだ。その中間集団が荒廃し解体してしまえば、その集団が保存し、伝統として伝えてきたモラル、つまり、「これだけはしないだろう」という常識も失われる。そして、その集団の成員は生まれ落ちるとまもなく「すべてが許されている」、常識のない世界に放り出され、誰とのつながりもなくひとりで生きなければならなくなる。こうして、西欧・ロシアと日本という違いはあるが、またその内実は違うが、結果として、「すべてが許されている」という思想をもっている点では同じ死産児が生み出される。
 しかし、しつこく繰り返すことになるが、このような日本の死産児にはスタヴローギンにはあった、神との契約を破棄しているという自責の念はない。日本の死産児たちは旺盛な性欲と自分の居場所が見つからないため激しい怒りに突き動かされながら生きるだけだ。彼らは動物的な本能を頼りに「何でもあり」の世界に生きる。彼らがこれまでの伝統によって伝えられてきた常識「これだけはしないだろう」という一線を何の苦しみもなく越えることができるのは、このためだ。この日本の死産児にはスタヴローギンの苦しみが理解できない。
 現在のこのような日本の状況を鏡となって忠実に反映しているのが、亀山のドストエフスキー論であり、亀山によるドストエフスキーの翻訳なのである。その熱心な読者が亀山と同じ死産児なのだ。死産児が書いたものを死産児が喜んで読んでいるのだ。亀山のドストエフスキー論と翻訳こそ、死産児を食い物にする邪教の教典ではないのか。この教典の表紙には「すべてが許されている」と記されている。(3月9日、一部訂正)(続く)