おちょやん

 NHKテレビの朝の連続ドラマである「おちょやん」を録画して見ている。
 いわゆる「連ドラ」を見るのは初めてだ。
 なぜ見始めたのかといえば、第二回目を偶然見たからだ。わたしも住んでいた富田林が舞台になっていた。そこで、これは見なくてはと思い、パソコンで見損なった第一回目を見た。しかし、なぜ、見なくてはと思ったのか。富田林がその理由ではないことは、あとで分かった。
 見なくてはと思った理由が「おちょやん」を見ているうちに少しずつ自分にも分かってきた。テレビを見て泣くことはまずないのだが、「おちょやん」には泣かされた。とくに、第一週のおちょやんの幼年時代の話には泣かされた。わたしの父の幼・少年時代と似ていたからだろうと思う。
 わたしの父の父親は、村の分教場の教壇で脳溢血のため急死し、わたしの父はそのとき母親の胎内にいた。このため、生まれたとき、父親がいなかった。そのあと、子だくさん(八名だったか?)の貧乏暮らしを絵に描いたような生活を母親兄弟姉妹とともに送り、わたしの父は小学校も尋常小学校でおわり、そのあと、口減らしのため、神戸に出て丁稚というか小僧というか、そういう形で働き、そのあと、海軍に志願した。父の言葉によれば「ち○ぽの毛も生えそろわんうちに海軍に行った」。
 それから中国で重い病に罹り(子供でまだ身体が出来上がっていなかったからだろう)、日本に戻され、病がある程度治ると、今度は長男の代わりに、また海軍に志願した。そして、南の島で捕虜になってハワイの収容所に送られ、三〇歳前に日本に帰ってきた。それからがまた苦難の人生の始まりで・・・と続くのだが、わたしが生まれたとき、これも貧しさを絵に描いたような生活だった。
 いつだったか、学校で見た「にあんちゃん」という悲しい映画で、主人公が妹にうどんを作ってやる場面があり、彼が「また、うどんか」と嘆く場面で、わたしは「うらやましい」と思ったものである。
 そういういろいろなことが思い出され、「おちょやん」を見ていると泣けてきたのである。しかし、泣いた理由は、まだ親父が生きていたとき、親父の子供のときの苦労が分からなかった自分が情けなかったからだと思う。
 「おちょやん」のモデルになった浪花千栄子は好きでも嫌いでもなかった。しかし、わたしの近所によくいたタイプのおばさんで、神戸弁でいう、いわゆる「しゃんとこべえ(しっかりもの、というか、しっかりしすぎている女性のことかな?)」で、そういう女の人が近づいてくると、子供のわたしは逃げた。怖かった。