田宮虎彦

 田宮虎彦は父親から虐待を受けて育った。その父親のイメージと当時の軍国主義へと傾斜してゆく世相が重なり、田宮を苦しめる。それを田宮は次のように表現した。

 大学を出たところでむなしい人生しか残されていはしないということが、既にのぞき見ていた世の中から私にははっきりわかっているように思えていた。
 ・・・
 私は死にたかった。死ぬ以外に自分を支えるものがなかった。(「足摺岬」)

 しかし、足摺岬で身を投げて死のうと思っていた主人公は、清水の旅籠で年老いアイヌ人の遍路に出会い自殺を思いとどまる。そのアイヌの老人に田宮は自分を受け入れてくれる父を見た。
 田宮の一生は自分を受け入れてくれる父を求めてあえぐ一生であった。別の小説で田宮はこう書いた。

 健象は、老人にあうことで、自分の心のどこかがみたされていた。どこがみたされているか、健象には、しばらく、それがわからなかった。だが、やがて、健象に、老人が、何故、自分に、そのような感じを与えてくれるかわかって来た。
 健象は、老人の中に、父親を感じている自分に気づいたのである。(「父という観念」)