せんせはえらい

私が公開講座をやっていて、これまでいちばん印象に残った出来事は、ある人から「せんせはえらい」と誉められたことだ。その人は石川県あたりの工事現場で働いていたとき、ある人から、「ドストエフスキーの『悪霊』は面白いよ」と言われ、それがずっと記憶に残り、そのため、私が中之島の公会堂でやっていた公開講座に来たのだ、と私に語った。最初の頃は風呂に入っていない風で体臭がきつかったが、そのうち、風呂上がりのように、石鹸の香りをさせて受講するようになった。きっと、まわりの人に迷惑になると思ったのだろう。その人がどんな職業でどこに住んでいるのかも知らなかったが、講座には自転車で来ていた。そのうち、その人があるとき、「明日から入院するので、これで講座を受けるのはおわります。どうも有り難うございました。」と、言って、皆に別れを告げた。そのとき、「せんせはえらい」と耳打ちされたのである。私はぐっときたが、「ほな、またな」と言って、別れた。それきり、会っていない。あの人はどこに住んでいたのか。西成あたりか。いかにも日雇い労働をしているという風の人物だった。「あんたこそえらいよ」と言おうとしたが、ぐっときて、言葉につまった。