菅直人の政治スタイル

 最近驚いたのは、テレビの国会中継を見ていて、自民党議員の「いつ辞めるのか」という追及に海江田経産大臣がわっと泣いてしまったことだ。つねづね「自分のことなどどうでもいいんです」と言っていた海江田氏が泣いたのだ。自分のことがどうでもいいのなら、何を言われても柳に風と聞き流すことができただろうに。しかし、こんなことはまあどうでもいいことだ。
 それより最近もっとも分からないのは菅首相の言動だ。これは新聞などのメディアが菅首相の言動を正確に伝えないで、自分たちの解釈を加えて伝えるからだ。最近ようやく「週刊朝日」(2011/08/19)で、菅首相はインタビューに答えながら、メディアによる自分に関する誤った報道を正しているが、辞任に追い込まれてしまった今となってはもはや遅い。震災対策で忙殺されていたためメディアの報道に反論する時間がなかったのだろうが、それにしても遅すぎる。国民にとって失ったものは大きい。
 私自身は菅首相の政治スタイルを高く評価している。その政治スタイルについては江田五月が次のように述べている。菅直人の本質をついた正確な発言だと思う。

 江田五月法相は15日のBS11の番組収録で、菅直人政権の支持率が低迷し続けた理由について「菅首相が(社会の)ストレスの受け手にされてしまった」と述べ、首相が正当に評価されていないとの見方を示した。
菅政権の実績についても「成果とまでいかなくても方針をしっかり示した」と評価してみせた。その一方で、昨年の参院選で首相が唐突に「消費税10%」を掲げたことについては「ちょっと肩に力が入りすぎた。そのツケは随分、大きかった」と振り返った。
首相の人柄に関しては、「人をねぎらうのが上手ではない」と指摘。首相退陣後の新体制について「民主党が新代表をきっちり政権を支える政党になっていくことが大切だ」と強調した。
江田氏は収録終了後、記者団に対し、大連立に関して「大連立もあり得るが、無原則、無限定ではなく、例えば震災復興とか、何のための大連立かをはっきりさせればいい」と話した。(産経新聞 8月15日)

 要するに、江田によれば、菅直人は「人をねぎらうのが上手ではない」。菅に批判的な産経新聞はこれを菅に対する批判として紹介しているのかもしれないが、私は誉め言葉だと思う。要するに、政治家というものは公共のために仕事をするのが当然であり、それが大変な仕事であろうが、下らない仕事であろうが、政治家にとっては、誰かに「大変でしたね」とねぎらわれる必要はない、だから、自分はとくに誰かをねぎらうことなどしない、というのが菅直人の政治スタイルだということだ。あるいは海江田経産大臣は、玄海原発のことで奔走したことに対して、菅直人にもっとねぎらってほしかったのかもしれない、このため泣いたのかもしれない。小沢一郎なら海江田をおおいにねぎらっただろう。ねぎらうことで、自分の子分にしようとしただろう。そして自分のたこつぼを強化しようとしただろう。しかし、菅直人はそんなことはしない。人をねぎらわないので、たこつぼを作らないし、作れない。菅直人のこのような政治スタイルを理解していないと、次のような愚痴が出る。

 松本健一内閣官房参与は18日までに産経新聞社のインタビューに応じ、仙谷由人官房副長官が中心となり東日本大震災の「復興ビジョン私案」を3月中に作成したが、菅直人首相はいったん了解しながら最終的に握りつぶしたことを明らかにした。
 首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
 首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。
 また、松本氏は「復興の財源確保にあたっては被災者からもあまねく税をとるやり方はダメだ」と復興税の導入に反対したが、首相は「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れず、復興税に固執したことなども証言した。(産経新聞 8月18日)

 こんなことを今になって産経新聞に暴露する松本健一(そして仙谷)は政治というものをまったく理解していない。彼らは海江田と同様、自分の苦労が無視されたことに憤っているのだ。しかし、憤る必要などない。政治というものは公共のために自分を限りなく無へと近づける運動なのである。それは政治だけではないが。