高須久子

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まった。前回の大河ドラマ軍師官兵衛」は、大河ドラマとしては久しぶりに男性の書いた脚本で安心して見ることができた。と言うと女性蔑視のように思われるかもしれないが、そうではなく、「軍師官兵衛」以前は、大河ドラマの脚本を女性が書くことが続き、わたしは少女コミックのような話の進め方にうんざりしていたのである。毎年初めの一、二回を見ただけで見るのをやめた。見て、これは女性向けのドラマであり、男性が見るべきものではないと思って遠慮したのだ。
 今回の「花燃ゆ」も女性の脚本家によるものだと知って、第一回目をおそるおそる見た。女性が脚本を書くと、例外なく、男性が非現実的になる。また、物語が平板になる。これは小説の場合も同じだ。もちろん、女性から言わせれば、男性が脚本を書くと、女性が非現実的になるということになるだろうが、わたしは女性でないので、よく分からない。分かるのは、女性が脚本を書くと、男性が人間として描かれず、男性が女性を飾るお飾りのようになるということだ。今回のドラマは女性が主人公なので、それでいいのかもしれないが、吉田松陰は人間として描いてほしい。そう思って、第一回目を見たが、やはり危惧したとおりだった。松蔭も男性として型にはまっていて、現実感がない。三島由紀夫が描いた女性のように現実感がない。これは女性男性という区別を越えて、要するに才能がないということなのだろうと思う。こんなことを言うと、女性から烈しい批判を受けるかもしれないが、ドストエフスキーチェーホフが女性を描くと、そこにちゃんと女性が存在しているように感じる。また、これも女性から烈しい批判を受けることになるかもしれないが、女性作家の場合、男性をドストエフスキーチェーホフのように描けるほど才能のある作家はいないように思われる。これはわたしの偏見だろうか。
 ということで、「花燃ゆ」の脚本の出来にがっかりしたということを言おうとして、結論の出ないめんどうな話をしてしまった。いずれにせよ、わたしは吉田松陰の出てくるドラマなので成功してほしいと思っている。特に、松蔭の初恋の女性である高須久子と松蔭の関係がどんな風に描かれるかに興味がある。
 よく知られていることだが、アメリカへの密航をくわだてた二十四歳の松蔭は、密航をペリーに断られ、このため萩の野山獄(士分の者が入る牢獄)に入れられる。その獄で松蔭は久子に出会う。そのくだりを、『日本の路地を旅する』(上原善広、文春文庫、2012)から引用してみよう。文中不快な表現があるが、当時の封建的な階級社会を表す言葉なので許していただきたい。また、ここで上原が「路地」というのは被差別部落のことだ。

 松蔭は獄中で、当時一一人いた囚人を相手に孟子などを教えているのだが、そこで高須久子という、野山獄唯一の女囚と出会う。
 もともと高須久子は、名家で知られた長州藩高須五郎左衛門の娘で、婿養子をとって娘二人をもうけたが、夫が死んだ後は、高須の屋敷で未亡人として暮らしていた。
 陽気な性格で、三味線など芸事を好んでしていたから、寂しさを持て余していたのだろう。夫の死後一年ほどすると、芸達者だったエタ弥八を呼んで三味線を弾かせるようになった。当時のことなので部屋には入れず、初めの頃は障子越しに聴いていたという。エタは身分違いなため、同室できなかったからだ。
 萩のエタは芸事をよくしており、皮なめしの他にも浄瑠璃、京歌、チョンガレなどを城下に出て流しては、生活の足しにしていた。中でも弥八は三味線上手でしかも美男、歌も上手で性格も良いと評判の男だった。
 萩には三つの路地があるが、おそらく弥八は、その中でも中心となる路地Sの出身なのだろう。先に書いたとおり、古い記録にも「今もSのエタ共、萬歳・樂を唱へて元旦に」城下をまわると記されており、私が石田老から話を聞いた路地だ。久子は特別な日などには、弥八の他に二、三人のエタを呼び寄せて、人形劇をさせたりもしていたという。
 やがて久子の行為はエスカレートしていく。エタ身分である弥八を屋敷に入れ、泊まらせるようになり、二人はやがて男女の仲になる。弥八を呼ぶときは、竹の先に白足袋を下げるなど、合図を決めて逢引を繰りかえした。
 しかし当時は身分違いのなさぬ仲である。若い弥八は路地のチョンガレ文吉の娘と恋仲になったことをきっかけに、やがて高須家からは遠ざかるようになった。そこで止めておけば良かったのだが、次に弥八の甥の勇吉という男と関係をもち、これも寝泊まりさせるようになる。勇吉が高須家を訪れるときは、大小の刀を差して士分の格好をしていたという。このとき久子は三四歳だった。
 狭い城下町のことだからこの噂は広まり、やがて久子は勇吉との逢引の現場を押さえられ、身分違いの姦通の罪で野山獄に入ることになる。エタを家に入れていたため高須家は家替えとなり、弥八らが使っていた箸なども捨てられた。(『日本の路地を旅する』、pp.150-152)

 上原善広も指摘しているように、久子の夫は亡くなっているのだから、これは不倫ではない。当時の常識からして、身分違いの者が交わったことに罪があるというだけだ。封建的な階級社会の常識を破壊したので久子は獄につながれたのだ。上原はこのことについて、こういう。

・・・この一件で被害をこうむった者がいるとしたら、名家の名を汚された高須家と、身分制度を根本から揺るがされてしまった藩だけだ。路地の者とでも抵抗なく通じ、封建時代に自らの身を引き換えてでも情愛に生きた久子は、自由で先進的な女性であったといえる。
 そうでなければ、いくら獄中という非日常の空間とはいえ、生涯を独身で過ごしたストイックなまでに高潔で知られた吉田松陰が、久子に惹かれるわけがない。(『日本の路地を旅する』、p.153)

 上原も指摘しているように、松蔭にはもともと路地の者に対する理解があった。このためもあって、久子に惹かれたのだろうと思う。
 しかし、上原の、久子が「自由で先進的な女性」だったというのは頂けない。結論から言えばそうかもしれないが、あまりにも紋切り型で、何も言っていないのにひとしい。男性が常識を打ち破る女性を描くとき、よくこういう陳腐な言葉に女性を押しこめる。「花燃ゆ」の女性脚本家にはこういうかたちで久子を描いてほしくない。女性から見た等身大の久子を描いてもらいたいと思う。