菅内閣包囲網

 どうもまだ言い足りないので、前回の続き。
 今年の3月11日、地震が起きたその時間、私は引っ越しを終えた直後で、段ボールの山を整理しながら、引っ越し前から見ていたテレビの国会中継を横目で見ていた。なぜ国会中継を見ていたのかといえば、菅首相が外国人(在日韓国・朝鮮人)から政治献金を受けたということで自民党から責め立てられていたからだ。前原外務大臣が近所の在日の女性からごく少額の献金を受け取っていたことで自民党から責め立てられ、外務大臣を辞任したばかりだった。自民党もじつに下らないことをするもんだ、と私は自民党にも辞めた前原にも呆れていた。こんなこと、いちいち目くじらを立てて言うことか、もしこれが問題であるのなら、そうならないようにするにはどうすればいいのか議論すれば済むことだ。自民党の議員だって調べれば、外国人から献金を受けてきた者がいるのではないのか。と思っていたとき、地震が起きた。
 地震のため、私は暇があれば朝から晩までテレビに釘付けになり、また新学期の授業の準備も始めたため(再雇用制度のため、定年後一年間働くことになった)、引っ越しの整理は、机まわりと自分たちの寝る場所に空間を作っただけで、それ以上進まなくなった。
 その頃誰もが思ったことだろうが、私も、東北の地震に連動して東南海地震が来たら、日本は終わりだな、と思った。昔読んだ岩波新書の『大地動乱の時代』(石橋克彦)も思い出した。すぐにも浜岡原発を停止しなければいけない、と心の奥底では思っていたが、津波被害に気持が奪われていた。そして菅首相浜岡原発の停止を命じた。やれやれ東南海地震が起きなくてよかった、と私は胸をなでおろした。多くの人も胸をなでおろしたと思う。
 ところが、その直後、経団連の米倉会長が菅首相は目立ちたいだけだ、という発言をした。そして、菅首相はできるだけ早く交代してほしい、という趣旨の発言を行った。これで菅首相を取り巻く「空気」は一変した。一夜にして変わったのだ。日本人だけではないが、日本人はとくに「空気」に弱い。それまで菅内閣をとくに批判しなかったテレビのコメンテーターたちやキャスターたちが一斉に菅首相は辞めるべきだと言い始めた。大新聞も同じだ。経団連は大新聞や民放の大事なスポンサーだから、大新聞の記者たち、民放のコメンテーターたち、キャスターたちが一斉に菅やめろコールを行うのは理解できる。理解できるだけだ。彼らはもうこれで北朝鮮やロシア、さらに中国のメディアと同じだということが明らかになった。なぜかNHKだけがその菅やめろコールに加わらなかったが、それも次第に怪しくなり、ついに夜9時からのニュースキャスター大越健介が菅やめろコールに加わり現在に至っている。
 ところで、その間、6月になると内閣不信任案が自民党から提出され、結局否決されたが、菅首相が辞任するということが既定の事実であるかのようにメディアで宣伝されるようになった。菅直人は辞任するとは言っていないのに。
 メディアによれば、菅首相はこの8月で辞任するそうだ。しかし、なぜ辞任しなければならないのか、その理由が私にはまったく分からない。こういう国家的危機のとき、その危機に対処してきたリーダーがなぜ特に落ち度もないのに変わらなくてはならないのか。これまで危機に対処してきた菅首相にしか分からないことがたくさんあるだろう。こういうときは政策的な継続性がいちばん重要なのだ。その政策のリーダーを何の必要もないのに変えるのは無謀というものだろう。
 私は地震のあと、暇があれば国会中継を見続けてきた。じつにひどいものだ。こんな連中に税金を払っているかと思うと情けない。とくに民主党の小沢・鳩山一派と自民党の大部分の議員は、そうでなくとも津波原発対策に疲れきっている菅内閣を下らないヤジと質問で悩ませ続けている。自民党菅直人への献金問題を再び持ち出したのには心底不快感を覚えた。
 彼らは菅内閣の震災復興の作業を妨害しているだけだ。これは明らかに人災だ。誰にも分かることだが、小沢・鳩山一派と自民党は、菅内閣の手足をしばっておいて、さあ震災対策をちゃんとやれ、と叫んでいるのだ。これが常識のある人間のやることか。菅内閣日中戦争のときの近衛内閣にそっくりだ。小沢・鳩山一派と自民党が、それにマスコミが菅直人近衛文麿のような立場に追い込んでいるのだ。