南京映画祭

 昨日、南京映画祭(エル・大阪)に行く。日曜日にも拘わらず大学で会議があったので、映画「南京─引き裂かれた記憶」の最初の30分を見ることができなかった。そのあと、「南京─引き裂かれた記憶」の取材・企画・制作の松岡環と武田倫和と、映画「靖国 YASUKUNI」の李纓(リ・イン)監督の鼎談。
 李監督によれば、彼が「靖国 YASUKUNI」を撮ったのは、南京大虐殺はなかったという嘘を信じる日本人に興味を持ったからだ。また、彼は、南京大虐殺について書いた本多勝一が身を守るため、今も変装して暮らさなければならない日本は異常だと述べた。
 映画「映像が語る真実 中国からの証言・南京1937/vol.4-5」を見たあと、受付で『戦場の街 南京──松村伍長の手紙と程瑞芳日記』(松岡環編著、社会評論社)を購入し、帰りの電車の中で読む。この本に映画「南京─引き裂かれた記憶」では省略されていた証言が多数収められていた。
 『戦場の街 南京──松村伍長の手紙と程瑞芳日記』も映画「南京─引き裂かれた記憶」も、加害者である日本兵と被害者である南京市民の証言を重ね合わせてゆくという形で作られている。会場には高齢の人が多く、若い人はちらほらという程度だった。暗い気持になる。日本人なら誰もが知っておくべき映画であり記録なのに。
 映画「南京─引き裂かれた記憶」では、南京大虐殺に加わった帝国陸軍の兵士たちが自分たちの犯した犯罪について、すなわち、強姦や殺人について松岡の質問に答える形で述べてゆく。あまりにも同じような答ばかりなので、しばらく聞いているとうんざりしてくる。彼らの話では次のような話が前後のつながりもなく反復される。
 「私たちはいつ死ぬとも分からぬ身なので、何をしてもいいと思った」→「シナの女を強姦し、殺した」→「子供も老婆も見境なく強姦した」→「道ばたにたくさん死骸がころがっていた」→「若い男は性欲が強いのでしかたがない」→「戦争がわるい」→「あれは地獄だった」→「私だけではなく、誰もがやっていた。やっていないやつなどいなかった。」
 この話を聞いているうちに既視感を覚えた。「要するに、私は何にも悪くないのだ。なぜなら、皆がやっているからだ。」というような話は、私がこれまで何度も聞いてきた、そして、これからも何度も聞くようになる話だ。
 山本七平も言うように、日本人の行動を規定するものは、その周囲の人間関係にしかない。自分が関係をむすんでいる周囲の人間がやっていることなら何でも許されるのだ。これが丸山真男のいう「たこつぼ」であり、土居健郎のいう「甘えの構造」であり、作田啓一のいう「拡大体験」であり、森有正のいう「二項関係」なのであり、ここに悪のはびこる温床がある。
 いま南京大虐殺から亀山郁夫ドストエフスキー論に目を転じれば、亀山郁夫のやっていることが悪いことだと知っていながら許しているロシア文学会の人々もまた、南京大虐殺を行った兵士たちと同じことをしているのだ。恥ずかしくないのか。