菅首相がわがまま者?

 私はいま事情があってブログを休んでいるが、今朝の朝日の記事には驚いたのでひとこと述べておこう。「薔薇、または陽だまりの猫」というブログにその記事が紹介されていたので、引用させて頂く(「薔薇、または陽だまりの猫」さん、断りもなしに引用してごめんなさい)。
 私が驚いたのは「菅さん常識外れ でも根底には思想/國分功一郎さん(37)」というインタビュー記事(朝日新聞、2011/8/12/朝刊)だ。インタビューの内容そのものは平凡なものだ。どうしてインタビューを行う必要があったのか理解に苦しむ。國分氏が九月に出す本の前宣伝のひとつなのだろうか。しかし、今はそれを問題にするわけではない。問題なのは、そのインタビューを行った秋山惣一郎という記者の「取材を終えて」という後書きだ。

取材を終えて

 人間は生来、好き勝手に生きる権利、つまり自然権を持っている。しかし自然権は法や慣習によって覆われ、人々は行使を自制しているにすぎないと、ホッブズは説いた。

 我々は今、秩序に従って自制的に生きている。しかし菅首相自然権を振り回し、ひとりホッブズ的な世界を生きていた。そう考えると、このまったく理解不能だったリーダーの振るまいに、説明がつく気がする。(秋山惣一郎)

 要するに、われわれは「自制的に」秩序を乱さないように生きているが、菅直人は秩序を乱し、「自制的」に生きていない。つまり、菅直人は、自制の効かないわがまま者だ、周囲のみんなが迷惑している、と秋山記者は述べている。もっとも、秋山記者の「菅首相自然権を振り回し、ひとりホッブズ的な世界を生きていた」という言葉があまりにも難解で、意味が明らかではない。ホッブズを理解しているとも思えない。しかし、秋山記者が菅直人を賞賛しているのではないことだけは分かる。一方、國分氏のインタビューを読めば誰にも明らかなように、國分氏はそれとは逆のことを述べている。菅さんは永田町の論理では非常識だが、人間としては常識的だ、彼は「制度を大切にしようという思想」を持っている、というのが國分氏の言いたいことだろう。つまり、インタビューの内容とは無関係な、というより、逆のことを秋山記者は述べているのだ。こんなことをしてもいいのだろうか。これでは新聞記者として失格ではないのか。
 最近朝日新聞の一部の人々は菅直人を批判し続けているが、秋山記者もそのひとりなのだろう。要するに、國分氏が菅直人を擁護したので、菅批判派の秋山記者が業を煮やし、その擁護を否定するような後書きを書いたということだろう。
 愚かなことだ。菅直人が正常(常識的)で自制的に生きているのは明らかだ。自分たちのグループのことばかり考え自制が効かなくなっているのは、永田町やメディアの菅批判派の方だ。こんなことは少し考えれば誰にも分かるはずだ。菅直人が首相を辞任する必要はまったくない。菅直人の辞任は日本にとって大きな損失になるだろう。今は日本が日中戦争に突入していった状況とそっくりだ。(上記の「薔薇、または陽だまりの猫」というブログの朝日の記事は削除されるかもしれないので、念のため、以下、コピーさせて頂く。)

菅さん常識外れ でも根底には思想/國分功一郎さん(37)

菅直人首相が、ようやく退陣の覚悟を決めた。「辞任」を示唆した覚書から2カ月ちょっと。思いつき、場当たり、利己主義者。そんな批判も非難もものかは、首相のいすに座り続けた。一体なにを考えているんだろうと思っていたら、菅首相の発想には、震災後の日本を作る新たな哲学が見えたという。それってホントですか。

 ――ようやく退陣を決断しましたが、菅直人首相は評判が悪かったですね。

 「はい。ただ、なぜ批判されていたのか、その理由ははっきりしないと感じていました。それに私は菅首相は評価すべき発想の持ち主であるとも考えているんです」

 ――えっ? 場当たり的、思いつきだけの菅さんのどこを評価するのですか。

 「確かに常識はずれだから有権者からみるとワケがわからないかもしれない。でも、場当たり的に見えて、その根っこには彼自身の思想がある。それは制度を大切にしようという思想です。今後の日本や民主主義を再構築していく上で重要な発想です」

 ――でも、菅さんが何か制度を提唱したという記憶がありません。ましてや思想なんてとんでもないと思います。

 「そうでしょうか。就任当初『最小不幸社会』を実現する、と言ってました。これは社会に付きまとう不幸、貧困や病苦などをうまくみんなで分け合う制度を整えようという考えです。辞任3条件の一つに掲げた再生エネルギー特別措置法案も、自然エネルギーの普及という目標を掲げた上で、実現を促す制度を導入しようという考えです」

 ――これだけ政治を混乱させた菅さんの発想が、日本や民主主義の再構築につながるとは、とても思えません。

 「少し哲学の話をしましょう。近代の政治哲学の起源は17世紀にホッブズらが論じた社会契約論にあります。18世紀にルソーによって民主主義の理論へと変換されて今日にいたりますが、いま私たちは、その民主主義が抱える問題点を実感しています」

 「日本は民主主義の社会だということになっています。しかし実際には、たまに部分的に立法権に関わることができるだけ、つまり数年に一度、選挙への参加が許されているだけです。これのどこが民主主義なのか」

 ――常に政治に参加できるのなら、すぐに菅さんを降ろしてますよ。

 「もう少し聞いてください。なぜこういうものが『民主主義』と呼ばれることになったのかと言えば、17世紀以降の政治哲学に原因があります。近代の政治哲学というのはずっと立法権の話ばかりしているんです。昔は神様や王様が法を決めたから、その法は正統だと言われた。じゃあ民衆によって法に根拠を与えるにはどうすればいいか。このことばかり論じている。立法権中心主義なんです」

 ――立法権、つまり議会に民意をどのように反映させるか。これは重要でしょう。

 「もちろんそうです。しかし立法権ばかりが注目されたために、ないがしろにされてきた領域がある。私たちが生活している中で最も身近な行政権力です。市が保育園を作る。県が道路を造る。私たちの生活に直結しています」

 「しかし行政権の執行に対し、私たちにはまったく参加の機会がありません。何ら拘束力をもたないパブリックコメントをたまに出せる程度です。民主主義と言うなら、行政権に市民が公式に関われる制度をきちんとつくっていくべきではないでしょうか」

 ――市民が主権者として行政権に公式に関われるという発想は、今まさに被災地で問題になっていることですね。

 「時間はかかります。けれど、民主主義がこのままではダメなことは明らかです。ならばその基礎にある哲学を再検討せねばならない」

 「さきほど近代政治哲学の起源にある社会契約論を紹介しましたが、哲学史をさかのぼっていくと、それとは違うことを考えていた哲学者もいるんです。その一人がヒュームです」

 「社会契約論の考えというのは、人間はエゴイストなので放っておくと好き勝手なことをして戦争状態になる、だから社会契約によってそれを止めようというものです。ヒュームはこれに疑問をもった。人間はそんなにエゴイストだろうか。親を見てみろ。親は子どもに『共感』し、手助けするではないか、と。人間はエゴイストだという社会契約論の前提を覆すのです」

 ――すると、助け合おうとする人間の「共感」の感情に期待するということですか。

 「いや、そこにひとひねり入ります。人間は確かに他人に共感するけれど、その共感は偏っていると言うんです。たとえば自分の子どもには共感しても、赤の他人には共感しない。共感だけでは社会はうまくいかないし、共感は時に社会全体にとって害にすらなる。じゃあ、どうするか。制度によってこの共感を拡張していこうと考えるのです」

 「たとえば、これからは再生可能エネルギーの普及が必要だと一人一人が思っていても、その気持ちを束ねて結果を出すには膨大な労力が必要です。しかし、そうした気持ちをうまく後押しする制度が作られれば、社会全体で結果を出していける」

 ――菅さんの政治姿勢には共感できませんが、ここで冒頭の制度重視の発想につながるわけですね。

 「そうです。菅さんが退陣するにしても、民主党には制度を重視する立場は継承して欲しいと思います。また、今の民主主義の形は絶対のものではありません。いまこそこれまでに哲学者たちが考えてきた様々な政治体制の可能性を検討してみるべきです」

    ◇

 74年生まれ。高崎経済大准教授。専門は哲学、フランス現代思想。東京大「共生のための国際哲学教育研究センター」共同研究員。著書に「スピノザの方法」。9月に「暇と退屈の倫理学」の出版を予定している。

■社会契約論

 トマス・ホッブズ(1588〜1679)によって開かれた近代政治哲学の基礎となる思想。ホッブズは、個人が勝手に生きる権利を国家に譲渡し、従うべきだと考えた。国家の成立を個人との契約に求めた点で、民主主義の先がけとなった。

 この思想を継承したのが、ジョン・ロック(1632〜1704)とジャンジャック・ルソー(1712〜78)。ロックは、人民主権の考えを明確にし、国家への抵抗権を正当化。アメリカ独立宣言(1776)に影響を与えた。ルソーは人民主権をさらに徹底し、フランス革命(1789)の思想的な後ろ盾となった。

 社会契約の概念は、現在も日本国憲法をはじめとする近代憲法の基礎となっている。

■取材を終えて

 人間は生来、好き勝手に生きる権利、つまり自然権を持っている。しかし自然権は法や慣習によって覆われ、人々は行使を自制しているにすぎないと、ホッブズは説いた。

 我々は今、秩序に従って自制的に生きている。しかし菅首相自然権を振り回し、ひとりホッブズ的な世界を生きていた。そう考えると、このまったく理解不能だったリーダーの振るまいに、説明がつく気がする。(秋山惣一郎)
 *2011.8.12朝日朝刊