冷たい熱帯魚

横板さんが書かれていた映画「冷たい熱帯魚」をようやく見ることができた(「シネ・リーブル梅田」)。観客は10名ぐらいか。平日の最終回だが、それにしても少ない。
つまらない映画だった。原作の「愛犬家連続殺人」(志摩永幸著)を読んでいたためかもしれない。あるいは途中で、昔見たサム・ペキンパーの映画「わらの犬」を思い出したためかもしれない。いずれにせよ、あまりにも退屈になり、もう時間も遅いし、帰ろうか、と思ったほどだ。
原作の「愛犬家連続殺人」は共犯者が書いたノンフィクションなので仕方がないが、プロット(事実を結びつける因果関係)が粗略にしか書かれていなかった。しかし、そこにはそのような欠陥を補う鬼気迫るストーリー(事実)が書かれていた。そんなストーリーは知ってしまえばそれでおしまいなのだが、それでも初めて読む者は驚く。
しかし、プロの映画監督がその原作をなぞるだけでは困る。小説やノンフィクションなどの言語芸術もそうだが、映画などの映像芸術もプロットあるいはディテールが命だ。映画「冷たい熱帯魚」にそのようなプロットはなかった。
と、ここまでは映画の感想だ。私が不思議に思ったのは、この映画の原作が「愛犬家連続殺人」であるということが観客には分からないということだ。あるいは私が見落としただけかもしれないが、最後まで原作がどういう作品かは字幕に出なかったように思う。
映画では主人公の職業や最後に主人公が自殺するところなどが原作と異なるぐらいで、基本的には原作と同じ物語だった。とくに、この作品でもっとも重要な役回りを演じる主犯の男のパーソナリティが原作と映画でまったく同じだった。ということは、やはり原作は「愛犬家連続殺人」であると観客に知らせなければならなかったのではないだろうか。この点でも後味の悪い映画だった。